統合医療福祉中村直行研究室「第1回講演会」開催!
〜「在宅医療・福祉社会を市民と共に考える」をテーマに〜

会場入口2008年5月17日、埼玉県北本市の北本市文化センターで、統合医療福祉中村直行研究室主催の第1回講演会パネル展示
「在宅医療・福祉社会を市民と共に考える」が開催されました。会場には医療や介護関係者のほか、在宅医療を行っている北本市周辺の市民など約320名が詰めかけ、講演やパネルディスカッションに熱心に耳を傾けました。

 

大久保善健氏

講演会は、同研究室・大久保理事の開会の挨拶でスタート。

第1部の特別講演では、福祉のスペシャリスト・八代英太氏と、北里大学・北里研究所メディカルセンター病院の白石廣照先生から、「福祉社会を考える」(八代氏)、「地域における総合病院の役割」(白石氏)について、それぞれお話いただきました。

第2部は、パネルディスカッション「地域の在宅医療を考える」。進行役となった統合医療福祉中村直行研究室・中村直行代表が、会場からの質問をもとに在宅医療や緩和ケアにおける問題点を提起。それを受けて、5名のパネラー(ひらお内科クリニック院長・平尾良雄氏/番町診療所院長・山田正文氏/慶應義塾大学病院麻酔科ペインクリニック専従医・橋口さおり氏/北里大学北里研究所メディカルセンター病院・医療ソーシャルワーカー・池田道子氏/八代英太氏)がそれぞれの立場から発言するなど、活発な意見交換が行われました。

加納洋氏コンサートそして第3部は、ニューヨークを拠点に、幅広い音楽活動を展開しているミュージシャン・加納洋氏によるミニコンサートに。目が不自由でありながらピアニスト兼ボーカリストとして活躍する加納氏から、ジャズのスタンダードナンバーやオリジナル曲「Now is tha Time」など、8曲が披露されました。ラストは、会場の参加者も交えた「上を向いて歩こう」の大合唱で締めくくりとなりました。

講演者、パネリストおよび参加者共々が有意義な時間を共有した講演会は、心地よい演奏に酔いしれながら、盛況のうちに幕を閉じました。

---講演会内容もくじ---
●特別講演会「福祉社会を考える」 講師:八代英太氏
●「地域における総合病院の役割」 講師:白石廣照氏
●「当院からのお願い」 講師:池田道子氏
●パネルディスカッション「地域の在宅医療を考える」

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特別講演「福祉社会を考える」 講師:八代英太氏

講師プロフィール
1937年山梨県八代市生まれ。1957年山梨放送に入社。1963年上京、タレント活動を開始。1973年ステージから転落し、脊椎を損傷、以後車椅子の生活。1977年参議院全国区に出馬、84万票で当選。1979年障害者世界組織の結成アジア太平洋議長就任。1984年科学技術政務次官就任。1999年郵政大臣就任、2000年郵政大臣再任。2005年衆議院選落選。現在は帝京平成大学教授として教鞭をとる一方で、「福祉の語り部」として全国を行脚中。

●障害を持つことの不便さが、政治へのチャレンジに

本日は北本市にお招きいただき、ありがとうございます。
私は現在、車椅子生活を行っていますが、こうなる前は至って健康で、医者から100歳まで生きられると太鼓判を押されたくらいです。ですから、自分の健康を過信しており、福祉にはまったく関心がありませんでした。
テレビ番組で障害者をゲストにお迎えしたときは、その生き様に感動するのですが、時間が経つとそれも忘れてしまう。自分には関係ない世界、という奢りもあったと思います。
そんな私が36歳のときにステージから転落し、車椅子生活になってしまいました。このとき、健康を過信していた自分の愚かさをつくづく反省しました。
最近では中国四川省で大地震が起こり、多数の尊い命が失われました。同様にミャンマーでのサイクロン、日本での阪神淡路大震災でも多くの命が失われるなど、まさに我々は危険と背中合わせで生きており、誰もが明日はどうなるかわからないという状態にさらされています。
私は脊椎損傷で車椅子となりましたが、当初は完治すると軽く考えていました。仮に歩けなくなっても、目が悪くなったら眼鏡をかけると同じように、車椅子に乗ればいいと楽観視していました。ところが、一生車椅子生活と医師から宣告され、初めて車椅子に乗ったとき、「こんなに不便なものはない」と初めて気づきました。障害を持つことの不便さ、理不尽さを思い知らされたときでした。
障害を持った人は、生涯日の当たらないところで生きていかざるを得ない…。これではいけない、障害者のために何かお役に立てないかとの思いが募り、政治への参加を思い立ったわけです。 なぜなら、税金であろうと医療費であろうと、私たちの暮らしのすべては政治にかかっているからです。弱者の声を代弁するような人がいなければ、政治を改善できない。これが政治にチャレンジする原動力となりました。

●福祉とは、その町に住む人全員が考えるべき問題

八代英太氏車椅子生活になった私は、車椅子でこれまで通りステージに立ち、ジョークをいったり、ものまねをしました。ところが、誰も笑ってくれないんですね。「あんなことをいっているが、心中は辛いんだろう」と、目頭を押さえる人もいました。この反応を見て、障害を持つことは社会の哀れみを買うことや、障害者はやりたいこともできずに、施設か家の中でじっとしているしかないという、世間の考えに反発を覚えました。
自分から障害者になりたいと思った人は誰一人いない。たとえ障害を持っていても、その本人にとってはかけがえのない人生です。社会との共生が人間社会の基本でなければならない、そう考えて私は国会でノーマライゼーションの理念を唱えました。
私の提唱が功を奏し、今では障害を持った人の社会参加も当たり前になってきました。また、職業の選択肢も広がり、自分が希望する分野で頑張っている方も多くなるなど、日本の福祉の大きなビジョンが確立したことを、私自身も喜んでいます。
しかし、まだまだ問題は山積しています。スウェーデンやデンマークなどの北欧の国々では、国の政策の中心は福祉であることを国民が理解しており、70%以上もの税金を負担しています。同様のことを日本国民に望むのは困難ですが、せめて50%ほどの税金は負担してほしいと思います。そして、その足りないところは健康な人たちの心の財源で埋めると。
その一方で、障害を持った人の知恵と、長い人生の中で培った高齢者の経験も大事な財源です。これらをこれからの町づくりに生かさなければなりません。
福祉とは国が考える問題ではなく、その町に住む人全員が考えるべき問題なのです。

●「向こう三軒両隣福祉」の実現を願って

私は昭和12年に山梨に生まれました。当時の日本は生めよ増やせよの時代、したがって私の兄弟姉妹は10人います。ですから、親が倒れたときも、皆が交代で面倒をみることができます。 しかし、少子化の今はそうはいきません。そこで、国ではこうした社会事情をふまえた政策として、介護保険制度や後期高齢者医療制度を導入しました。とはいえ、後期高齢者医療制度は問題も多く、見直しをせざるを得ないという状況になってきました。政治は私たちの暮らしに直接関係するものですから、国民一人ひとりがその動向にしっかり目を向けなければならない。障害者や高齢者も含め、すべての人が共生し、一人ひとりの命が守られていく世の中でなくてはならないのです。
ところがこれまでの日本の社会は、乗り物をはじめ道路、施設などすべてにおいて、健康な人を標準につくられてきました。ですから、障害者や高齢者にとっては不便極まりない町づくりでした。
これではいけない。障害があっても年をとっても、共に地域で暮らす、そういう社会をつくっていく必要があります。それために、福祉は地域で育てていかなければならないと私は強く訴えてきました。
福祉とは「幸せ度」。この地に生まれ、この地で育ち、この地に骨を埋めるという幸せ度を計るものが福祉です。少子化に拍車がかかる現在、地域の高齢者や障害者をそこに住む住民が支える「向こう三軒両隣福祉」が必要になってきました。それぞれが心の財源を提供するような、そんな町づくりが望まれています。
日本人は温かい心を持つ民族です。中国の地震に対する募金活動にも、ミャンマーへの物資援助にも積極的に協力します。ところが、こうした遠くにいる人たちには快く手を差し延べますが、自分の周囲にいる障害者、お年寄りに対してはその気持ちが少ないのが実情です。ここを改め、向こう三軒両隣が心を通い合わせネットワークを形成すれば、日本の福祉もさらに大きく育っていくでしょう。これからの福祉社会は、国民一人ひとりが持っている心という財源を、どのように地域に反映させるかにかかっています。こうした心の交流が、これからの地域福祉の重要な柱になっていくと思います。

●心の温かさや助け合いの精神を、福祉に生かそう

向こう三軒両隣の助け合いに精神に似た活動として、赤い羽根共同募金があります。これは今も続いていますが、同じような発想で考えられたのが、40歳以上の人すべてに保険料の支払いが課せられる介護保険制度です。これにより、田舎に住む両親が高齢化して介護が必要になっても、自分に代わって面倒をみてくれるヘルパーさんへの報酬が払えるようになりました。そういうことを考えてみても、これからは地域中心型の福祉が大きな役割を果たす時代といえます。
私の生まれ故郷、八代市は人口15000人の町。ここでは秋の運動会で集落対抗の車椅子障害物競走が行われ、夫婦が選手として参加します。夫は車椅子、それを押す妻は目隠しをして競技に出場し、夫と妻が協力しながら障害を乗り越えて行くんですね。ですから、秋になると練習のために車椅子で稲刈りに行く夫婦もいます。こうして自然に車椅子に馴染んでくるため、車椅子に対する理解も深く、町で車椅子を見かけるとどんなときにどのように手伝ったらいいかわかる。この例は、これからの町づくりに向けたひとつのモデルケースだと思います。
日本人が持つ心の温かさや助け合いの精神を生かせば、皆が支えあう社会がつくられていくはず。北本市でその先頭に立っているのが平尾先生です。先生をリーダーに市民の皆さんが中心となって、福祉の町づくりを実践していってほしいと思います。

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「地域における総合病院の役割」 講師:白石廣照氏

講師プロフィール
1997年北里大学医学部卒業、北里大学病院外科入局。2007年北里大学医療系大学院卒業、北里大学北里研究所メディカルセンター病院入職。専門は消化器外科。

総合病院とは、許可病床数100床以上で主要な診療科(最低でも内科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科の5科)を含む病院を指します。病院の種類としては特定機能病院、地域医療支援病院、在宅病院等々があり、当院は地域医療支援病院、二次救急病院、大学病院の3つの機能を担っています。
白石廣照氏緊急診療を行う病院は、一次救急病院、二次救急病院、三次救急病院の3つに分かれます。一次救急病院は、入院や手術を伴わない医療を行う開業医等の医療機関で、患者さんの病名判定や初期治療が行われます。その過程でより高度な医療が要求される場合は、二次救急病院に搬送されます。
二次救急病院は別名、救急指定病院と呼ばれ、24時間体制の救急医療を行っており、X線検査、心電図、血液検査、点滴などによる治療のほか、入院や手術にも対応します。 このほか、地域医療支援病院も二次救急病院に相当します。ここは地域の開業医等と連携して患者さんの治療にあたる医療機関で、双方で患者さんを紹介しあうこともあります。
三次救急病院は、一般の病院では対応できないような重篤な病態に対し、専門知識を持ったスタッフによって高度な医療を行う病院のこと。北本市近辺では埼玉医科大学国際医療センターや大宮の埼玉赤十字病院などがあります。
救急救命センターは、一次および二次救急病院や救急患者の輸送機関との連携により、心筋梗塞や脳卒中など重篤な症状を持つ患者さんや、複数の診療領域にわたる救急患者さんに対して24時間体制で高度な救急医療を提供するところです。 広範囲の熱傷、手足の切断、急性中毒等に対応する、さらに高度な診療機能を有する医療機関として高度救命救急センターがあります。
当院は地域の中核病院として近隣の医療機関と連携し、患者さんに質の高い医療を提供しています。今後も地域の医療の向上に努めていきます。

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「当院からのお願い」 講師:池田道子氏

講師プロフィール
北里大学 北里研究所メディカルセンター病院・医療ソーシャルワーカー
主に在宅医療に関する総合的な相談に応じている。

大学病院でもあり救急病院でもある当院の医師は、外来と病棟を受け持つほか、救急患者さんに備えた当直もこなすなど、毎日、過酷なスケジュールで働いています。午前7時に出勤。2つの病棟を回診し、検査の依頼等を出したあと、外来のある日は午前9時から午後4時過ぎまで診察。その後、病棟での仕事をこなし、退勤するのは午後10時頃です。外来のない日は手術を行い、当直の日は午後5時から当直に入ります。この間、救急車で運ばれる患者さんの対応をしつつ、病状が変化した病棟の患者さんの診察も行うなど、仮眠もままならない状況です。
ところが、夜間の救急に来る患者さんの中には、「昼間は混んでいるから」という理由で来られる方もいらっしゃいます。こうした患者さんの対応に追われ、緊急要する患者さんの治療ができない、あるいは救急車を断らざるを得ないこともあります。
そこで患者さんにお願いしたいのは、具合が悪くなったらまず、近所のかかりつけ医を受診していただきたいということです。その先生の判断で、専門の検査が必要と思われる場合は、紹介状を書いてくださるはずですから、それを持参して当院にお越しください。急を要するときは、開業医の先生から直接当院に電話がきますから、その場合は診察時間外でも対応します。
なお、治療等々でわからないことがありましたら、気兼ねなく看護師、事務職などのスタッフにお尋ねください。療養生活や介護の問題、各種制度やサービスについてのご質問、ご相談は総合相談室が対応します。

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パネルディスカッション「地域の在宅医療を考える」

コーディネーター:
中村直行
東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。学際情報学博士。統合医療福祉中村直行研究室代表。専門は統合医療情報学、NPO論、社会福祉援助技術論、厚生労働省がん研 助成金研究班協力者、日本緩和医療学会ガイドライン作成委員等を歴任。

パネラー:
平尾良雄氏
埼玉大学理学部生化学部卒。32歳で群馬大学医学部入学、1992年卒業後、大学で学位取得。1999年「ひらお内科クリニック」開業。2000年(有)ニューズコーポレーションを立ち上げ、在宅介護・看護・支援を行う「ゆうゆうケア」を開設。3003年通所介護施設「みなみ風」を開設。医師のほか、介護支援施設の経営、学習塾講師、大学講師も務める。

山田正文氏
北里大学医学部卒。ニューヨーク州モンテフィオーレ・メディカルセンター留学を経て、1994年番町診療所、番町脳循環器センター院長に就任。医学博士、日本麻酔科学会指導医、医療法人社団三二会・番町診療所理事長、慶応義塾大学医学部麻酔学教室非常勤講師。

橋口さおり氏
鳥取大学医学部卒。慶応義塾大学医学部麻酔学教室入局。NTT関東東病院ペインクリニックにて研修の後、1999年慶応義塾大学病院麻酔科ペインクリニック専従医となり、現在に至る。医学博士、慶応義塾大学医学部麻酔学教室講師、日本麻酔科学会指導医、日本ペインクリニック学会専門医、日本緩和医療学会代議員。

池田道子氏
北里大学北里研究所メディカルセンター病院・医療ソーシャルワーカー。主に在宅医療に関する総合的な相談に応じている。

八代栄太氏
山梨県生まれ。山梨放送の社員からタレントに転身。1973年ステージから転落し、脊椎を損傷、以後車椅子の生活。1977年参議院議員として初当選。1979年障害者世界組織の結成アジア太平洋議長就任。1984年科学技術政務次官就任。1999年郵政大臣就任、2000年郵政大臣再任。2005年衆議院選落選。現在は「福祉の語り部」として全国を行脚中。

<病診連携について>
〜開業医、看護師、ソーシャルワーカー等の連携が必要〜

中村:皆様、本日は講演会にお越しいただき、ありがとうございます。
パネルディスカッションは、会場の皆様からいただいたご意見・ご質問に対し、それぞれの専門分野で活躍するパネラーからご回答をいただくというかたちで進めていきたいと思います。早速、ご質問をご紹介したいと思います。
『隣町に住む私は、慢性疾患と身体障害を持つ高齢者の介護中です。在宅医療の枠組みに含まれる訪問医療や訪問介護、訪問リハビリなどを受けていますが、本人が何度も入退院を繰り返した体験から、病診連携はまだまだ建前ばかりで機能していないと腹立たしく感じています。北本市では病診連携は機能しているのでしょうか?』。

中村:まずは池田さん、いかかですか?

池田:当院では開業医、訪問介護ステーション、ケアマネージャー、ヘルパーなどさまざまな専門職が、患者さんとそのご家族を支えていくという病診連携をめざしています。とはいえ、病院がすべての患者さんの主治医になるのは現実として不可能なので、地域で展開する開業医の先生が中心となってそれを進めていく――これが病診連携の基本方針です。
患者さんにお願いしたいことは、具合が悪くなったら、まず身近な開業医に診ていただきたいということ。その診療過程の中で、必要があれば開業医が病院を紹介する、こういうかたちなら病診連携も機能すると思います。

中村:実際に現場で医療に携っている平尾先生はいかがですか?

平尾:私はもう一人の医師とともに、北本、鴻巣、桶川、上尾にお住まいの寝たきりの患者さん、30〜40人に対する在宅医療 (訪問診療)を行っています。これらの患者さんは、もともと当院にかかっていた方々ではなく、ほとんどの方が病院から紹介されて来られた方です。中にはがんで治らないといわれ、ならば在宅療養したいという方もいらっしゃいます。
在宅医療に関しては、併設の訪問看護ステーションにいる数名の看護師の協力を得ています。たとえば、病院から退院するときは、それ以前に看護師が病院に出向いて患者さんとお会いしたり、ご家族と在宅療養の仕方について相談し、患者さんの病気や病状に合った診療ができるような体制を整えています。こうした病診連携を今後も図っていきたいと思います。

中村:ありがとうございました。では、医療現場で働いている先生方は、在宅医療をどう捉えているのか。その辺を橋口先生と山田先生に伺いたいと思います。

橋口さおり氏橋口:近年、日本人の死因の中で最も比率の高いものはがんであり、その対策として昨年、がん対策基本法が施行されました。がんの予防法や治療法の推進や受診環境の整備、緩和ケアの充実などを図っていこうという法律です。
私の専門は緩和ケアですが、これは末期がんの患者さんに対する医療行為ではなく、がん治療中の患者さんを対象とした治療支援をいいます。がん患者さんが治療を受けている間には、痛み、手足のしびれ、呼吸困難などの症状が出てきたり、経済的なこと、治療を受ける場所など、いろいろな不安がよぎるようになります。それらの症状を緩和したり、心の悩みの相談に乗るなど、治療の支援をしていくのが緩和ケアです。患者さんだけでなくご家族も含め、できる限りの支援をするのが私たちの仕事です。
緩和ケアを提供する場は病院だけではなく、在宅へと広がっているほか、最近では外来での治療を受ける患者さんも増えています。したがって私たちの仕事も、かかりつけ医と協働で行うかたちに変化してきました。緩和ケアを行うためには、主治医のほか看護師、ソーシャルワーカー、薬剤師、精神科の医師、カウンセリングを得意とする臨床心理士など、それぞれの専門家が必要であることから、これらのスタッフの連携が義務付けられています。

山田:以前から私は、医療現場におけるインフォームド・コンセントの重要性を説いてきました。患者さんが今の自分の病状とそれに対する治療法をきちんと理解した上で、納得した治療を受けることが大切だからです。そのためには、セカンドオピニオンも必要です。大きな病院ではすでにセカンドオピニオン外来も始まっており、患者さんが受けている診断が正しいかどうか、それに対する治療法にはどんなものがあるのかなどを説明しています。
在宅医療についてはいろんな不安があると思います。ですから、今受けている治療が本当にいいものかどうかと迷ったら、遠慮なくセカンドオピニオンを訪ねてください。ご自身が納得できるような治療を受けることが一番ですから。

<がんの告知について>
〜患者の性格や生活環境をふまえながら、慎重に対応すべき〜

パネルディスカッション中村:ありがとうございました。八代先生は在宅医療に関して、何かご意見はありますか?

八代:私の母は肺がんで70歳のときに亡くなりました。私ら家族はがんであることを知っていたのですが、それを母に告げるべきかどうかは悩みました。当時は、がんという病名を告げること=死刑を宣告するようなものでしたから、最期まで教えることができなかったんですね。ところが母は、何となく気づいていたように思います。
がんになったら、本人に告げるべきか否か。医師も家族も迷うところだと思います。一方では、それを受け止める患者自身の性格も関係してくると思いますが。
私は脊椎を損傷して歩けなくなりましたが、それを周囲の者は誰も私に告げませんでした。ところが、蚊が足に止まっているのに痒みを感じないというようなことがあり、そんなところから何かおかしいと徐々に気づきました。自分は歩けなくなるのでは、と少しずつ覚悟をしていったんですね。そしてある日、医師に本当のことを教えてくれといったら、生涯車椅子と宣告されました。がんに対する告知も、これと同じように本人の心の準備やタイミングが必要だと思います。

中村:調査によると、もし、家族ががんになったら告知するという人と、告知しないという人は約半々。ところが、自分ががんになったら告知してほしいという人が大半を占めています。このように、「告知」は非常にデリケートな問題で、患者さんやご家族、そして医師にとっても大きな悩みといえるでしょう。医療ソーシャルワーカーの立場から、池田さんはどうお考えになりますか?

池田:緩和ケアの重要な仕事のひとつに、人間関係の調整があります。特に深刻な疾患にかかっていらっしゃる方に、病気についてどのように伝えるか。その方が本当のことを知りたいと思っているのか、あるいは知りたくないのか。主治医もご家族も、どういうふうに伝えたらいいのかと戸惑っているうちに、日が経ってしまいます。
日本には以心伝心という言葉があり、「きっと本人も察しているに違いない」と希望的な感情を交えながら過ごしていらっしゃる方も少なくないのですが、ご自分の病気や病状を理解していただかないと、最適な医療を提供するのは困難になります。ですから、ご本人が知りたいと希望すれば、いろんな環境調整をするのが緩和ケアの仕事です。
どの程度知りたいかを探り、主治医と相談して時間をかけながら、この程度のことを伝えてほしいといって告知に至る。その状況を確認しながら、最適の治療法と環境を整えていく努力をしています。

山田:医療に携る中で、がんだけでなくいろんな病名を患者さんに伝えようとする際、ご家族からいわないでほしいといわれることも多々あります。その場合の対応はケースバイケース、患者さんとご家族の関係をふまえ、判断するしかありません。とはいえ、最適な治療をするためには、ご自分の病気や病を理解していただいたほうがやりやすい。ただし、末期がんなら告知しないほうがいいのではないかと、医師の立場からもそう考えます。告知に関しては、決まったかたちはないというのが現状でしょう。

八代:医療の進歩により、がんはもはや征圧できる病気といえると思います。治るのであれば、当事者も開かれた情報公開の中でがんと闘うことも必要ではないでしょうか。闘う意欲を持つことで、回復も加速されると思います。ですが、人間はそれぞれ性格や生きている環境が違いますから、それらによって、告知の受け入れた方もさまざまだ思います。要は信頼する医師からきちんと病気について説明を受け、それを素直に受け止めることが大事だと思いますが。

平尾:これまでの経験からいいますと、エコーやレントゲン撮影で患者さんにがんの疑いが持たれたときは、まず、ご本人とご家族にお越しいただいて、こういう可能性があるから病院で検査を受けてくださいといいます。県立がんセンターを紹介するだけで、ご本人もご家族も大きく動揺します。しかし、それが私の役目ですから仕方ありません。
がんセンターで治療が開始されたら、間違いなくがんです。埼玉県立がんセンターでは、100%本人に告知することを旨としています。十数年前はがんは治らない病気でしたから、病名を告知するのは、まさに死刑の宣告だったんですけれども、今はそうではないわけですから、がんといわれても前向きに対処していただきたいと思います。がんに限らず、治らない病気を告知された場合は、患者さんもご家族もお辛いと思います。ですが、皆平尾良雄氏 中村直行氏で悩むのが家族というものなんですね。在宅医療の現場でも、いろんなことで皆さんがお悩みになりますが、これが家族のあり方だと思っています。

中村:ありがとうございました。池田さん、病診連携の観点から見た入院や在宅医療についての現状はどうでしょうか?

池田:がんに限らず、自分の病とどう闘っていくかということです。闘病期間が長くなり、罹患して5年も経つと、患者さんご自身がご高齢になり、病気自体は快方に向かっているものの、ボケが始まったり、日常生活の動作が緩慢になることは多く見られます。在宅医療の場合、家族が勤めに出てしまうので、そういう患者さんも日中一人になることがあります。こういう現状の中で私たちに求められることは、病気を抱えながらいかに安心して治療を受けられるかという環境調整。最近はこちらコーディネートが多くなってきました。

<在宅医療について>
〜心の通う医療が可能。患者と家族との信頼関係も濃密に〜

中村:ありがとうございました。それでは次の質問に移りたいと思います。
1つは、『都内在住です。埼玉県に住む親は2年前から寝たきり、軽度の認知症、老化による身体障害があります。食事・入浴・排泄等の介助も、わからないことだらけで悩んだりすることも多かったのですが、兄弟や私の家族が交代で世話をするほか、ヘルパーさんや医療関係者の方々、さらにはご近所の方々に助けられ対応しています。とはいえ、いつ何が起こるかわからないため、不安が募ります。私の自宅は狭いため、施設に入所して看護や介護を受けたほうがいいでしょうか』というもの。
2つ目は、『埼玉県在住の40代後半の会社員です。妻は40代半ばの専業主婦、子供は一人は成人して独立、一人は中学生です。妻が3年前にがんに罹患。ステージ?Vaの進行がんと診断されました。抗がん剤の副作用により体力は低下する一方だったのですが、本人の強い希望により、総合病院での入院治療から、生活の質を重視した在宅医療に切り替えました。漢方や健康食品の利用も試み、体力も回復し、1年7ヶ月くらいは体調も悪くなかったのですが、数ヶ月前から腹水による圧迫で、呼吸困難になったり、痛みを感じるように。医師や家族と相談の上、紹介状を書いてもらい総合病院に再入院することになりました。その後は次第にベッド上の生活となっています。できるものなら、住み慣れた家で妻の看病をしたいと考えていますが、もう家に戻ることはできないのでしょうか?』というものです。
それぞれの方がご自分の生活環境の中で、できる限りの対応をされていますが、冷静に対応するにはどうしたらいいのか。専門的な立場からアドバイスをお願いします。

橋口:患者さんの中には、末期がんでこのまま病院で治療を続けるのは困難と思われる方もいらっしゃいます。そういう方のその後の治療の場、いわゆる療養環境調整については、ご本人の希望やご家族の状況を聞きつつ、ソーシャルワーカー等と相談しながら決めています。そこで一番問題になるのは介護費用。訪問介護とか介護保険、在宅医療を行う医師への支払いなど、どれほどの費用支援があるかどうかが問題になります。
2つ目の質問の発信者は、40代の男性。奥様の療養を優先したいと思っても、仕事をしながらの介護は困難ですし、一旦会社をやめてしまったら、年齢的にも再就職は困難。そういう場合の対策として、ホスピスや緩和ケア病棟がありますが、現在の日本では全員を受け入れることは不可能です。受診さえも何ヶ月待ちという状況です。もし、そうした施設への入院を考えるのであれば、早め早めに手を打つしかないと思います。

山田正文氏山田:まずは納得した医療を受けていただきたいですね。情報に踊らされることなく、まずは信頼できる医師に治療を任せるのが一番です。

平尾:最初の質問への回答ですが、介護保険制度ができたことで、医療だけでなく、介護訪問ステーションや地域包括支援センター、ヘルパー、ケアマネージャー等々、在宅医療を支える環境はかなり整ってきています。ですから、これらの施設、人を利用することも一考かと思われます。
2つ目の質問に対しては、在宅医療も進化し、人工呼吸器をつけたままの治療や点滴療法、酸素療法も可能になりました。地域に在宅医療に携る医師がいて、訪問看護ステーションと連携しながら治療ができるのであれば、在宅医療を考えてみるのも悪くはありません。慢性的な病気、あるいは患者さんが家での治療を強く希望するのであれば、在宅医療が一番と考えます。ご家族に囲まれた環境の中で、医師が縁の下の力持ち的存在になれば、心の通った医療ができますし、患者さんとご家族との信頼関係も深くなります。これが在宅医療のメリットと考えます。

池田:病院ではがんのような重篤な疾患の方が在宅診療に移る場合は、主治医を中心に看護師、薬剤師、医学療法士等々がチームを組み、チーム全体で患者さんを支えていきます。そして、帰宅するときには、このチームを支援してくれる在宅医療の医師やケアマネージャーなど、地域ぐるみの大きなチームをつくります。これにより、患者さんとご家族を支えていくよう努力しています。

八代:理想的な人生の終りは、愛する家族に囲まれ、信頼できる医師に畳の上で看取ってもらうこと。それをふまえ、これからの在宅医療を考えていかなければいけないと思います。できたら最期は「ピンピン、ポックリ」(笑)。いろんな人と友だちになって楽しんで、最期はポックリ、これが一番ですね。

中村:おっしゃる通りです。これまでのお話を総括すると、医師と患者さん双方の信頼関係に基づくコミュニケーションと、早目早目の対応が肝要だと。そのためにも在宅医療は大事ということでした。
私も将来は在宅医療をしたいという方は、お配りした「在宅医療、患者とご家族の基礎知識」の小冊子を参考にしていただきたいと思います。
本日は地域における在宅医療について、さまざまな専門家からご意見・アドバイスをいただきましたが、そろそろお時間となりました。皆様、長い時間どうもありがとうございました。

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